「傷ついた人たちが、安心して心の傷を終わらせる

私自身が人生のどん底で救われた、内観・瞑想・カウンセリング・そして海、それらを皆様と分かち合い、より良い人生の再スタートのお手伝いをさせて頂ければ本望です。

藤山 みちひろ

カウンセラー / 創業者

保有資格・実績

  • 産業カウンセラー(一般社団法人日本産業カウンセラー協会認定)
  • 森林セラピスト
  • SUPインストラクター(2008年〜/延べ3,000名以上を指導)
  • カウンセリング相談実績:延べ3,000時間以上(ボランティアを含む)
  • 著書『過去を感じ切ったら、現実が動き出した』(Kindle出版)

ごあいさつ

こんにちは。福岡県福津市「海辺のカウンセリングルーム」の藤山みちひろと申します。

当ページをご覧いただき、ありがとうございます。

肩こり腰痛など身体の調子が悪いとき、私たちには整骨院やかかりつけのマッサージ屋さんという、気軽に立ち寄れる場所があります。

では、心が疲れたときはどうでしょうか。家族や友人には話しにくい。どこに相談したらいいのか分からない——そんなふうに、お一人で抱えておられる方は多いのではないでしょうか。

実は私自身がそうでした。

少し長くなりますが、私のことを知っていただくために、これまでのことをお話ししたいと思います。

My Story

22歳、突然の社長就任

福岡県の太宰府天満宮で有名な、太宰府市というところに生まれました。神社の中の幼稚園に通わせてもらいました。菅原道真公の話をたくさん聞いていたことを覚えています。

幼少期から繊細で寂しがり屋だったと思います。しかし学生時代は、野球・サッカー・ラグビーなど、いわゆる体育会系で育ちました。今思えば繊細で自分のことが大嫌い

。しかし周りの友人のように強くなりたい、自分で自分に今のままではダメだとの思い、またこの繊細さを何とか乗り越えたいとの思いから、激しいスポーツに無意識に挑戦していたのかもしれません。

大学卒業後は地場企業に就職しました。とても順調な社会人生活を送っていました。しかしそのような中、父が急逝しました。

父は自らが創業した会社を経営していました。私は急遽、設備投資など含め約6000万円の負債を抱えた会社を承継することとなりました。

当時の私は「父にできたのだから自分にもできる、いやもっと上手にやってやる」という何とも傲慢な気持ちで会社を継ぐことにしました。

しかしバブル崩壊後の会社経営は言わずもかな、毎日命を削るように非常に厳しく大変なものでした。

誰にも相談できなかった暗黒時代

会社承継後はまさに悩みのオンパレード。

支払いのこと、覚えなければならない仕事がたくさんある、特に人間関係がうまくいかず本当に苦しみました。

父親ほど年齢が離れた社員の方々、独特の考え方を持った番頭さんとの激しい確執、無理を押し付けられるお客さんとの関係性。

また一緒に会社をやりくりしていた母、当時の妻には、自分がこれほどがんばっているのにうまくいかないことを誰かのせいにしたくて無意識のうちに当たってしまっていました。

クタクタになるまで働き仕事が終わったら、夜は車に積みっぱなしのスーツと革靴に着替え、経営者が集う会合に参加し顔を売って仕事をもらう。

当時会合に行くと若い経営者が少なかったので、先輩経営者からとても可愛がってもらいました。

ただそのような義理で仕事をもらっていても、自分は誰かの役に立っているのかと、モヤモヤは毎日募っていくばかり。

この頃は毎日のように本屋さんに通っていました。何とか現実を変えたく、ビジネス書、自己啓発書を読み漁っていました。おそらく出版社の方よりもたくさん読んでいたのではないかと思います笑。

しかし当時の私が再現できるような内容のものは少なく、本を読むことで単純に気を紛らわし、現実逃避をしていたのだと思います。

次第にそれでは変わらない気がして、潜在意識を書き換える情報やポジティブな言葉を使うことを取り入れるようになりました。しかし繊細な私はこのことが当時から自分にウソをついているような気がしていました。

結局変わらないどころか内面的にも外面的にもどんどん落ち込んでいっていました。

結局妻ともうまくいかず、とても傷つけてしまったまま離婚することになりました。

生きる希望を与えてくれたサーフィンと瞑想

この頃知人から誘われ、サーフィンを体験しました。沖で波をひたすら待っているその時間、波に乗っているその瞬間、すべての悩みから解放されたような気持ちを味わうことができました。

サーフィンをしている時だけは会社のこと、離婚のことを忘れられる。当時の私にとっては暗闇の中に一筋の光が見えたような感じでした。

時間があれば波がなくても海に行くようになりました。海に一人で入っている時などは、沖に出てウワーと叫んで情動を発散したりしていました。

大げさではなく本当にこの時間に私は救われたと思います。

また同じ時期、本を読んで「瞑想」というものを知りました。

たまたま近くに指導をしてくれる方がいるとその本に書いてあったので、勇気を振り絞り電話をし、レクチャーを受けることにしました。

素直さだけが取り柄の私は先生にいわれるまま瞑想に取り組みました。初めに教えて頂いたこと、瞑想とは合一することだということ。

本当の自分と合一する、という意味なのですよ、ということでした。初めての瞑想体験は言葉で表現することもできないほど、素晴らしい体験でした。

自分がなくなるようでもあり、自分がすべてとでもいうような。この体験も私に、世界は目に見えるものだけではない、ということを知識ではなく、体験として味合わせてくれたものでした。

どん底の私を救ってくれた、この二つのものは、今でも続いています。

カウンセラーとの出会い

しかし苦しい現実は変わることはありません。そんな中近しい人が1週間に二人も自殺をしてしまうというショッキングな出来事がありました。

正直当時の私は自分がしてあげられることはなかったのか、と考える余裕すらありません。その時の私はどう思ったか。

「このままでは自分もこうなるかもしれない」とまさに背筋がゾッとする感覚でした。そしてそのあと必死で祈っているとき、ドンという感覚とともに「カウンセラーになれ」という直感を感じました。

当時は自分が他の仕事をやることなど頭の片隅にもなかったし、カウンセラーという仕事があることすら知らないような状況でしたので、気持ちの悪さだけが残っていました。

しかしその衝動があまりにも強かったので、ずっと頭にそのことが残っていました。こんな時に偶然にも南修治さんというカウンセラー件歌手の方のお話を聴く機会に誘ってもらいました。

本当は別の講演者のお話を聴きにいったのですが、たまたま一緒に講演をされたのが、その南さんというカウンセラーの方でした。

「この人がやっているのがカウンセラーなのか」と少しだけ興味を持ってお話を聞いていました。

しかしその南さんのお話と歌を聞かせてもらった時、今まで溜め込んでいた心の中の悲しみモヤモヤ怒りなどが全部吹き出すように溢れてきました。

人目もはばからずどれだけ涙を流したかわかりません。子供のように泣き叫びました。これほど泣いたのは後にも先にもこの時だけです。

この出来事をきっかけに、自分と見つめ合うことを真剣に考え始めるようになりました。

内観との出会い

カウンセラーとはどういうものか。興味を持ち始め、養成講座に通いました。

講座を受講し資格を取得したのはいいものも、正直自分の中のモヤモヤは癒すことができませんでした。

自分がこんな状態で誰かの悩みを聴くこと、寄り添うことはできない。

それは私自身が最もわかっていました。こんなことではダメだ、もっとやらなければならないことがあるはずだと思っていた矢先、内観法(内観療法)というものに行ってみないかとの誘いを受けました。

少しあやしくも感じましたが、両親との関係性というものが人生への影響というものには、以前より興味があったので行くこととしました。


母がしてくれていたこと

内観法(療法)とは、日本発祥の心理療法です。「お世話になったこと」「お返ししたこと」「ご迷惑をかけたこと」の三点について、両親など自分と関わりの深い方との出来事をただ静かに振り返っていくという、シンプルな方法です。

早朝から夜まで屏風の中に座り続け、ひたすら自分の内側を見つめ続けます。逃げ場はありません。

最初は正直、「こんなことをして何が変わるのか」と思っていました。はじめは何も思い出すことができず、恥ずかしく思っていました。しかし続けていくうちに、ずっと沈黙の中で過去を思い起こしていくと、頭の中に若いころの両親の姿やイメージが表れてきました。

内観でまず調べるのは、母に対する自分でした。

母とは一緒に会社経営を行っていたこともあり、とてもギクシャクしていました。

この人のせいで自分はこんな目に遭っているんだと、うまくいかない経営をどこかで母のせいにしていた部分もあります。お世話になんかなっているか、最近の言葉で言えば完全に「毒親」だと思っていました。

しかし静かに淡々と出来事を思い出してみると、いろんな記憶が浮かびます。

また記憶になくとも、生まれたばかりで何もできないときのことを鑑みてみると、二十四時間三百六十五日営業で寝る間も惜しんでお世話をしてくれていたのだ、そんな人おそらく世界中にたった一人です。

もしかするとこれが愛なのかもしれない。だんだん胸のあたりが温かくなるのがわかります。

内観には養育費を具体的に計算するワークがあります。一つ一つ計算しながら、私は言葉を失いました。数字にすると、一億円近い金額になりました。

「自分はこれほどまでに、愛されていたのか。」

涙が溢れるというより、崩れ落ち、油田が吹き出すようなイメージで感謝が溢れてくる感覚でした。

今まで流したこともないような涙がとめどなく吹き出します。何分くらい泣いたのでしょうか。

泣き尽くすと体重が五キロくらい軽くなったかのようにスッキリしました。研修が終わり帰宅後母の顔を見ると、「今までありがとうございました」と泣きながら感謝を伝えている自分がいました。

これは私にとっては考えられないほどの奇跡的な出来事でした。

あの汚れた手は、愛だった

次に、父に対する自分を調べさせて頂きました。

父は事業を始めてからは苦労が多かったのか、家庭では毎日のように母を罵り、泣かせていました。

私はいつの間にか、そんな父を「弱い」「情けない」と、心の奥で馬鹿にするようになっていたのです。父の仕事は「3K(きつい・汚い・危険)」と呼ばれる仕事でした。

私は自分でも気づかないうちに、心のどこかで父のことを「こんなに汚れてしか仕事をできないみっともない人なんだ」と心の中で馬鹿にしてしまっていた。そんなことに気づきました。

内観の中でその事実に気づいた時——

「あの汚れた手は、父の愛だったんだ。」

父は仕事柄、いつも手を印刷のインクで真っ黒にしていました。

得意先から冗談混じりにバカにされながらも、文句一つ言わず働き続けた父。

子供のためだけに命がけで走り続けた父。あんなに命がけで子供たちのために働いていた父のことを、私はバカにしていたのです。

そのことに自分で気づいた時は驚きでした。自責の念に苛まれ、恥ずかしく、涙が止まりませんでした。

そして今、なんの因果か自分がそのバカにしていた仕事をしている。

心の奥で自分がバカにしていることを私は今やっているのだ、それが仕事がうまくいかなかった一番の原因なのだ、と気づきました。無意識とは本当に恐ろしいものです。

感情が終わったら、現実が動いた

内観から戻った後、不思議なことが起きました。

特別な営業活動をしていないのに、売上が急上昇し始めました。

それまで取引の上で納期のことや支払いのことでほとんどもめることもなくなりました。そして何より変わったのは、人間関係でした。母ともそれまでは経営のことで毎日のようにもめて罵り合うことを繰り返していましたが、今ではよく一緒に食事に行けるようになりました。長年ぶつかっていた人間関係が、何もしていないのに自然と穏やかになっていきました。

頑張れば頑張るほどうまくいかなかった理由が、ようやくわかりました。変えようとしていたのは、ずっと「外側」でした。やり方、環境、収入、人間関係。

しかし本当に変えなければならなかったのは「内側」だったのです。内側が変わると、外側は自然についてきます。これは理論ではありません。私が体で経験し、その後多くのクライアントさんとともに目の当たりにしてきた現実です。

別れた妻との偶然の再会

もう一つ、内側の変化が最も鮮明に現れた体験があります。ある日、偶然同じ飛行機に元妻が乗っていました。離婚してからずいぶん時間が経っていました。

かつてはぶつかり続け、深く傷つけた相手です。以前の私であれば、気まずさを感じ、目を逸らしていたかもしれません。しかしその時の私の内側には、不思議なほど穏やかな感覚がありました。

空港のカフェで少し話をしようということになりました。何気ない会話を進めているうちに、内観で自分を振り返ってどれほどこの人を傷つけてしまっていたのかという感情が溢れて止まらなくなりました。

気づくと号泣しながら本当にごめんなさいと謝っていました。その後元妻が「お互いが大人になるために必要な経験だったと私も気づいたよ」と言ってくれました。長年の苦しみから一気に解放された瞬間でした。

父からのメッセージ

父への大きな気づきが終わった後、静かに瞑想をしていました。その日は調子が良く、瞑想にとても集中することができていました。

するとどこからか、声のようなものが聞こえてきます。

「よかごとせい」「よかごとせい」

ずっとこの言葉がエンドレスに響きます。九州の言葉で「好きにしなさい」という意味です。

あまりにそれが鳴り響くので、「もうわかったからやめてくれ」と心の中で叫びました。

すると目の前で光のようなものがスーと上に上がって消えていった感じを受けました。

私はずっと、志半ばで他界した父の仇討ちのような気持ちで、がむしゃらに仕事をしていました。

父が喜ぶと思っていたからです。しかしその時、父の本心に気づきました。父の本心は、愛する子供に、自分の人生を自分の好きに生きてほしかったのだ。

そして私がイキイキと生きることが、何よりの親孝行なのだ、と。それに気づくまで、父が待っていてくれたかのようでした。

そしてその体験から2日後、また不思議な出来事がありました。

たまたま地域の会合で一緒になった初対面の方から「お父さん、早く亡くなられましたか」と唐突に聞かれました。

「はい、なんでですか」と伝えると、「お父さんだと思いますが」とおっしゃられ、「今まで仕事を教えることもできず継がせてしまい申し訳なかった」「これからは自分の好きなことをやって生きていてほしい」と伝えてくれと言われている、と告げられました。

普段ならそんなことを言われると引いていましたが、例のあの気づきがあった後でしたので、その言葉を素直に受け止めることができました。また号泣です笑。

自分自身の内観を深めつつ、今度は過去の自分と同じく自分を見つめ直すべくその場所に来られる方のお世話を、約8年ほどメンターのもとで行わせて頂きました。この経験は私の人生にとって最も学びが多く、とても充実したものでした。

カウンセラーとして始動

このような様々な出来事をきっかけに印刷事業をたたみ、カウンセラーとして生きること、私自身の人生を大きく変えてくれた内観や瞑想を必要な人に伝えたい、という自分の本心、また役割というものがあるのならこれだとようやく気づかされました。これは頭で考えても決して出てこなかった答えだったと思います。

再度真剣にカウンセラーとして動き出すため、産業カウンセラーの養成講座に通い、徹底的に傾聴の勉強をさせて頂きました。先生や同期にも大変恵まれ、私にとってカウンセラーとしてあり方とやり方を確立する非常に大きなきっかけとなりました。

ただやはり一層経験を積みたいと思い、その後約2年間傾聴ボランティアを行わせてもらいました。悩みの形、幸せの形は本当に人それぞれだと改めて実感することができました。

そしてとある企業様での業務委託としてカウンセラーとして始動を開始。ここで様々なお悩みを抱えてご相談に来れらる方に寄り添わせていただいた、実践的なカウンセリングの経験をたくさん積むことができたこと、クライアントからの感謝のお声を頂けたことは、今までの暗黒時代をすべて吹き飛ばしてくれるような、私にとっては何よりものかけがえのない財産です。

そしてその後独立する形となり今に至ります。